或いは日常の断片

LIFE1.5から見える風景のこと

年齢とのつきあいかた

今、某大学(出身校だ)の社会人スクールに週1回通っている。

 

いわゆる現役世代のビジネススクールではなく、

平日の日中に通える人たちのための、

 

つまり

 

リタイアリー(退職者)のための学び直しニーズだ。

 

クラスを見渡してみるとグレイヘアーが大半であり、

40代の自分はここでは結構な若者ということになる。

 

自分が若者。

 

新鮮、である。

 

20代でIT会社を立ち上げ、

そこからずっと自分より10〜20歳以上若いスタッフと

仕事をしてきた身からするとなんともこそばゆい気分だ。

 

 

クラスメイトから、まだお若いから・・などと言われると

これが年齢の相対化かと思う。

 

ここでは自分は「最近の若者」なのだ。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

40代は親が高齢になってきて、老いや病、死に直面することが増える。

 

自分が年齢を重ねることへの恐怖が増してくる。

 

今回社会人スクール参加を決めた理由のひとつは、

実際に「それ」を迎えている先輩方はどうしているのか見てみたいからだ。

 

生の喜びに満ちている先輩を見ることで

老いへの恐怖を希望に変えたいからだ。

 

そう考えると年齢をどう重ねるか、は自分よりも歳若い人への

メッセージになりうるということがわかる。

 

40代はもう終わった、と言っている場合ではない

 

という気にもなるのである。