或いは日常の断片

LIFE1.5から見える風景のこと

命をいただいたということ

田舎の両親の様子を見るため、数日帰省していた。

ここ東京に住んでいる人たちの多くが田舎に両親を残してきているだろうから

そのなんとも言えない切なさは理解してもらえると思う。

 

今年80歳になる我が父は、遺伝の糖尿病から来る合併症を長らく患っており、過去二度ほど死を覚悟した。

そしてその都度、生還した。

今はとりあえずの危機から脱したものの完治する病ではないため、痛みに怯えながら老人保健施設にご厄介になっている。

 

基本は寝たきり、だ。

 

とはいえ頭の方が明晰で、だからこそその境遇が不憫でならない。そんな父。

 

今回の帰省ではゆっくりできたため、二人きりでとりとめなく話した。

 

親というのは不思議な存在で、少なくとも10数年は一緒に生きているのに子供はほとんど自分の親のことを知らない。

 

どんな思いで生きてきたのか。

人生のハイライトは何だったのか。

若い頃の夢は何だったのか。

親(祖父、祖母)との関係はどうだったのか。

 

まるで知らない。

自分のルーツなのに。

 

ベッドで寝ている父とぽつぽつと会話を交わす。

 

驚いたのは、高度成長期のモーレツサラリーマンでほとんど家庭のことにタッチしなかった父が私たち子供3人の進路について詳しく知っていたこと。

父兄参観や進路相談に一度も来たことなんてないのに。

 

痩せこけた顔で楽しそうに父は話す。

 

優秀な上の兄が、高校の先生から興奮気味に

「このお子さんは絶対に東大に受かる。何とかお金を用意してください」

と言われたこと。

 

卒業小学校設立以来初の東大合格者だったこと。

 

下の兄も先生から東大・京大を嘱望されていたものの、本人がどうしても早稲田に行きたいと言ったこと。

 

3兄弟の中でみそっかすだった末っ子の私についても、

当の本人が忘れていたことまでよく覚えていた。

 

どの言葉も祖父の代から貧しくて行きたくても行けなかった大学への憧憬と、

その夢を叶えた子供たちへの誇りに満ちていた。

 

こちらが聞いてこそばゆくなるくらいに。

 

特に上の兄が東大に合格したことの喜びは、父の人生の中でまさにハイライトだったに違いない。

父はそのとき、兄の東大合格発表を待たずに他界した祖父に親孝行ができたと思ったはずだ。

 

30年以上前、何もない田んぼだらけの片田舎で、

教育レベルが極端に低い環境の中での文字通りの奇跡。

 

3代に渡った夢は確かに結晶した。

人はその血とともに想いを受け継ぐ。 

 

 

こうしてはいられない。

せっかくいただいた命だ。

父の分まで命を輝かせる義務が私にはある。

 

 

そしてあなたにも。